自律 和平 感謝

本校は、仏教特に浄土真宗の精神に基づく教育を行い、社会に貢献できる自律した女子を育成します。校訓である「自律」「和平」「感恩」は、いのちを尊び、多様な価値観を受け入れる豊かな人間力。自分をみつめ、自らを信じて未来へと歩む行動力。仏教の教えのもと、社会を生きるしなやかな感性と教養を身につけ、勇気と誇りをもって新しい時代を創造する女性を育成します。

仏教行事

仏教のみ教えに基づいた仏教行事などに接するなかで、いのちを尊び、他者を思いやる豊かなこころを育みます。

情操教育・礼法指導

「本物に触れる」という教育方針のもと、演奏会、能楽や演劇の鑑賞、国の登録有形文化財である茶室での礼法指導など、筑女には若い感性を磨き、豊かな人間性を育むプログラムが充実しています。

STUDENTS VOICE

VOICE01

仏教を通して物事を広く見る目を養い、
様々なことを自分事として
受け取るようになりました。

山崎 愛咲美さん中学3年 Ⅰ類

(※2022年度時点)

1年間、仏教委員会の委員長を務めました。委員会では、毎月の感謝日に行う献金の寄付先を決定します。その過程で様々な問題を知るたび、「これは他人事にしてはいけない」と感じるようになりました。最初は正直、自分が献金する5円、10円はあっても同じではないかと思うこともありましたが、だんだんと1人の力は小さくても積もり積もって誰かのためになると思えるようになりました。それからは世界各地のニュースなどを見る時の自分の視点も変わったように思います。何をするにも、他人事として捉えていると自分から行動することはできません。仏教を通して学んだ「自分事として捉える力」は、今後も私の将来に役にたつと思います。

VOICE02

人との関わりや「縁」について
考えるようになったことで、
出会いへの感謝の気持ちや
物事を捉える視野が広がりました。

赤司 瑞祈さん高校3年 Ⅰ類医進コース

(※2022年度時点)

毎週行なっている朝の礼拝や、仏教の授業で仏教の教えやそれに関するお話をきくことで、友達や先生など様々な人との出会いを大切にするようになったと思います。「一期一会」 という言葉がありますが、筑紫女学園での生活を通し「縁」について考える機会が増え、出会ったことに感謝するようになったと思います。そんな経験と日々の友達や先生方との時間を通して、入学前より視野が広がりいろんな角度から物事を考えられるようになったと感じます。私は将来、患者に寄り添って治療する医師になりたいです。そしてそのためには、患者の考えをよく理解することが大切だと思います。仏教は日本人にとって身近な宗教であるので、仏教の教えを知っていることは患者だけに関わらず、人と関わるときに話を広げたり、新しく会話をするときにとても役に立つと思います。

今月のことば

2025年1月

いくせんの              距離を渡る渡り鳥           国境線は みえたでしょうか

菊さん即興のうた

 生徒のみなさんは、正月や新年に何か特別な意味を感じたりしますか?

「Happy New Year」、「あけましておめでとうございます」、「謹賀新年」、「賀正」、「頌春」……。年が明けると様々な祝いの言葉や文字が氾濫し、なんとなく当たり前のように消費されています。

そもそも、めでたい年/めでたくない年って、何が基準なのでしょうか。いい年/悪い年、いい日/悪い日、いい天気/悪い天気、いい人/悪い人……。よくよく考えてみると、ぜんぶ自分中心で、自分の都合ではないでしょうか。こんなことを言うと、「新年早々めんどくさいなぁ」って思われてしまうかもしれませんが……。

()禿(とく)親鸞(しんらん)(いわ)く、

「良時」や「吉日」にとらわれて、「天の神」や「地の神」を自分の都合であがめながら、「占い」や「お(はら)い」に人生を左右されるなんて、悲しくありませんか―(意訳)。

原文:かなしきかなや道俗(どうぞく)(りょう)()吉日(きちにち)えらばしめ 天神地祗(てんじんじぎ)をあがめつつ 卜占(ぼくせん)祭祀(さいし)つとめとす

ともあれ、「おめでたい」「おめでたい」と、ただ祝うだけが正月ではありません。鏡餅、しめ飾り、初詣、おみくじ、福袋……たいてい、「日本の伝統」とされるものは、「創られた伝統」(エリック・ボブズボウム)です。生活スタイルも価値観も多様な時代。世の中には、年末年始をつらいと感じる人もいることに思いを致してみたい。当たり前とされる光景でも、人によっては悲しみや苦しみになることもある。年末年始の華やかな雰囲気に圧力を感じたり、違和感を覚えたりする人もいます。

自分の価値基準を、他者との関係性で捉えなおしてみたとき、違った世界が拡がっていくかもしれません。

 さて、今月のことばは、正月にも、巳年にも、全く関係のない、菊さんのうたです。ウクライナでの戦争が長引くなか、菊さんは渡り鳥に仮託して、上記のうたを夜回りに参加した小学生を前に即興で披露してくれました。鼻歌のごとくそらんじたそのうたに、小学生たちは、「国境線って何?」、「見えるわけないよね」などと無邪気に笑いあっていました。

 強大な武力を前に、うたは無力かもしれません。しかし、菊さんと小学生の関係性に、尊厳を感じました。

生徒のみなさんは、このうたをどう受けとめますか。もちろん、唯一の「正しい」受けとめ方なんてありません。私は、「みえたでしょうか」の結句に、菊さんの思いが凝縮されていると感じました。また、仏教用語や儀礼をただ単にありがたく謳歌(おうか)するよりも、素朴な日常の営みにこそ、普遍性(超越性)があるとも感じました。私も菊さんの問いに、しっかり向き合いたいなと思います。

(文責:宗教科)