建学の精神
水月哲英先生と「女子教育」
創設者 水月 哲英
旧制五高から東大へ進学し漢学を修める。
1900年(明治33年)、本校の創設者水月哲英は、浄土真宗本願寺派北米開教使として渡ったアメリカで、知識や技能、教養といった点で、日本とアメリカの女性の間にある大きな差を目の当たりにし、女子教育の重要性を痛感。女性の教養・地位の向上を目指して、女性の教育環境を整えることに使命を感じました。
そして、帰国後の1907年(明治40年)、福岡の地に筑紫高等女学校を創立したのです。
それから1世紀以上を経た今も、筑紫女学園は女子教育を貫いて、女子の人格形成、学力向上に力を注ぎ、社会で活躍する女性を輩出し続けています。
校 訓
自己への目覚め
自己を深く見つめ、さまざまな恵みに生かされていることを自覚し、自ら考え、判断し、行動していくことが「自律」です。
他者への目覚め
自分のまわりにある他のすべての存在を認め、互いに尊重しあう中に生まれるおだやかな世界のことを「和平」といいます。
いのちへの目覚め
無限の生命のつながりに気づき、自分を支える大いなる恵みに感謝を抱き、その恩に報いたいと願い生きることが「感恩」です。
限りない「いのち」への目覚め
筑紫女学園は、「親鸞聖人が明らかにされた仏陀(釈尊)の教え、すなわち浄土真宗の教えにもとづく人間教育」を建学の精神としています。本校の校訓である「自律」「和平」「感恩」は、その精神をあらわしたものです。
1世紀以上にわたって受け継がれてきた、知と心の女子教育。人の心を尊び、多様な価値観を受け入れる豊かな人間力、自分を見つめ、自らを信じて未来へと歩む行動力。仏教の教えをもとに、社会を生きるしなやかな感性と教養を身につけ、勇気と誇りをもって新しい時代を創造する女性を育成します。
水月哲英先生の原点
本校の創設者水月哲英は、そもそも自身の夢を叶えるために女子教育をはじめたわけではありません。「アメリカに居続けて仕事をしたい」という当初の夢は、思わぬ事故に遭い下半身に障碍を負ったことで破れました。しかし、それだからこそ、「日本に戻り、女子教育をすることが、恐らくは自分に課せられた使命なのだ」と悟ったのです。
アメリカに移民していた当時の日本人女性は、自国で教育を受ける機会をそれまで持ち得なかったために、異国の地であまりにも惨めな境遇に置かれていたのです。その無残な光景と障碍を負うという困難が入り交じり、もともと教師であった彼の心に火がついたのです。
自らが感じている辛さや悲しみや苦しみを殊更に遠ざけるのではなく、むしろ大切にしてじっと見つめてみてください。その中にこそ、自分がこの先にやらねばならない道が見えてくるのです。社会を変革する力は、自分でも制御できないほどの〝ほとばしり〟が内に湧いてくる必要があります。あなたが直面する困難こそがその種となるのです。
夢や目標に向かって努力することは無論のこと大事ですが、思い通りの結果にならなくとも悲観する必要などありません。ぶつかった壁の隙間からは、きっとあなたをそれまで以上に輝かせる光が差し込むはずだからです。
勝者を生み出すシステム教育をするのではなく、弱さや苦しみに喘ぐ側に寄り添うこともできる強くしなやかな女性を目指して、自己を磨き時に失敗をしながら共に育つ場が本校です。