吉日に悪をなすに 必ず凶なり
悪日に善を行うに 必ず吉なり
吉凶は人によりて 日によらず
秋も深まってきました。暑すぎず、寒すぎず、読書にスポーツに、様々なことに気持ちよく取り組める時節です。
さて、今月の言葉は「もともと日に吉凶はない。日の吉凶は、私のその日の行いが決めるものなのだ」という意味の言葉です。
皆さんは、日に吉凶を示したものとして「六曜」があるのを知っているでしょう。カレンダーなどに、「大安・仏滅・友引・先勝・先負・赤口」と書かれているものです。例えば一般的に、「大安に結婚式などのお祝い事をするとか、逆に仏滅にはしないとか、友引には友を引いてしまうので葬式をしない」などと言ったりします。しかしながら、六曜の成り立ちや仕組みは、ほとんど知られていません。もともとは、中国大陸で誕生し、日本には鎌倉時代に伝来したといわれます。明治になって新しく太陽暦を採用するにあたって、六曜は「迷信」とされましたが、今でも残っています。六曜の順番は決まっているのですが、例えば旧暦の1月1日は先勝と固定されているので、カレンダーを見ると、時々順番がずれてしまいます。そのことが神秘性を生んでいるともいえますが、規則性を知れば、七曜と何ら変わらないものです。「月曜日にはお祝い事をしない」とか言いませんよね。※ちなみに「仏滅」と書くけど、仏教には何の関係もありません。
親鸞聖人は和讃に「悲しきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇を崇めつつ 卜占祭祀つとめとす」(僧侶も世俗の者たちも、良い時良い日にとらわれて、天の神や地の神を崇めつつ、占いや祈りごとに余念がありません。 なんと悲しいことなのでしょう。)と詠まれました。根拠のない迷信にとらわれ、振り回されることで、本当のこと(もの)と本当でないこと(もの)が見えなくなること、主体性をもった正しい生き方ができなくなることをなげかれたのです。
現代社会でも、この根拠のない迷信を信じたり、信じさせられたりすることがもとで、事件が起こったり、いわれのない差別が行われたりすることがあります。
日そのものに吉凶はありません。1日1日は私たちに平等に与えられた時間です。迷信に振り回されることなく、正しいみ法(みのり)に生きることを心がけ、二度と帰らないその時間を充実したものにして、大切に過ごしていきたいものです。
文責 宗教科