2024年4月

人の一生は

  人との出遇いの連続である

 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。また、在校生のみなさんも新年度を迎えるにあたって新たなクラスでの“出遇い”を大切にして、頑張っていきましょう。

 私たちは、お互いを知る手段のひとつとして言葉を用いてコミュニケーションをとっています。その中で、ふとした“ことば”の出遇いによって勇気づけられたり励まされたりしながら、人間関係を築き成長していきます。そして、生きていく中では、楽しく幸せなことばかりではなく、苦しくて悲しい事にもたくさん出遇っていかなければなりません。“今月のことば”は、様々な方の言葉を通して皆さんひとりひとりのこころの支えとなってくれることを願って、正門や紫苑館前、裏門の掲示板に掲示されています。

 今月のことばは、“出遇い”ということについて語られたことばです。普段私たちは“であう”ということばを漢字で書くときは“出会う・出逢う”という字を使います。この場合、“会う”は人と人がであう、“逢う”は好きな人とあうという意味で用いられています。しかしここでは、“であい”は“遇”という字を用いて“出遇う”とされています。“遇”は、“たまたま”と読みますが、私たちの日々を考えてみると偶然の“出遇い”の積み重ねといえるのではないでしょうか。自分自身の誕生から振り返ってみても、たまたま今の親の元に“いのち”をいただき、それから友達といえる人との“であい”も、たまたまの“出遇い”によって始まっていることを考えると、“出遇い”とはとても不思議なことだと思えてきます。このことを仏教の言葉では、 “縁”といわれます。“縁”とは、お釈迦様がこの世のすべてのことは“縁によって起こり、縁によって滅していく。縁によって人は尊くもなり、縁によって(いや)しくもなる”と説かれたように、“縁”とは条件という意味をもち、仏教の大切なことばのひとつとして“ご縁”ともいいます。

 浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173-1263)も“であう”という言葉を使われる時に、“出遇う”と著されます。親鸞聖人は、29歳の時京都の吉水の地で法然聖人(1133-1212)との“出遇い”によってお念仏のみ教えに出遇われました。それは、「本当に遇いがたい教えに、今、私は遇うことができ、本当に聞きがたい教えを、私はすでに聞くことができました」と述べられ、自分が求める本当の教えに法然聖人との出遇いを通して今ようやく遇えたと奇跡的な感激をもって語れています。

 “出遇いは人を育て、別れが人を深めていく”といわれます。4月は“出遇いの季節”といわれますが、人は誕生してから様々な“出遇い”を通じて人として成長をしていきます。その“出遇い”は、よい“出遇い”もあれば自分にとってあまりよくない“出遇い”ということもあるかもしれません。しかし、その中にはたった一人の人や一冊の本やことばとの“出遇い”が自分にとって大きな意味をもち、人生の価値を根底から変えられることもあります。“出遇い”の深さが人の深さともいわれます。改めて、今月のことばに込められた“出遇い”の意味を大切に、“ご縁”を大切して朋に歩んでいきましょう。

(文責 宗教科)