雨を感じられる
人もいるし
ただ濡れる人だけの
人もいる
ボブ・マーリー
今月の言葉は、ジャマイカのシンガーソングライター、ボブ・マーリーさんの言葉です。ボブ・マーリーさんは1945年~1981年の方で、世界的音楽ジャンルの一つであるレゲエの先駆者の一人とされています。曲だけでなく、その詩もよく名言として取り上げられています。
さて、あるお寺の掲示板に「あなたは、喰うか、食べるか、頂くか」とありました。同じ食べ物でも、値段や品数や味や食べやすさ、満腹感など、価値を計算する見方でものを見ると「喰う、食べる」となります。一方、多くの食材の「いのち」とたくさんの人の味付けと手間など、そのことに想いをはせる(意味を知らされる)見方では、ご飯に敬語をつかって「いただく」となります。意味を知らされる世界を知ると、お金では買えない大切な尊い心が育まれるのです。
今月の言葉の「雨を感じる」とは自然の営みの力を感じることではないでしょうか。同じ雨でも季節によって呼び方が違うように、降り方も違います。そのことを感じているでしょうか。それは「花がきれいだ」とか「夕焼けが美しい」とか「おじぎ草って不思議だな」と感じとる感受性なのだろうと思います。日本には四季があって、旬があります。それぞれの季節に、色々な自然の営みを感じることができます。それは「意味を知らされる」見方とも言えます。
逆に「ただ濡れるだけ」とは、そのような自然の営みの不思議さを、単なる「あたりまえのこと」として何も感じずに日々を過ごしているということでしょう。さらに言えば、そのような態度が、この自然の営みを自分たちの都合の良いように改造できると考えて、その結果、地球温暖化をはじめとする様々な問題を生み出してきたのではないかと思うのです。
だから、皆さんにはこの「感受性」や「意味を知らされる見方」を大切にして欲しいと思います。皆さんの生きている時代は、「青年期」と呼ばれ、一番こころが大きく揺れ動く時代です。それだけこころが大きく育つ、豊かになる時代でもあります。感受性が豊かになる、意味を知るということは、自分自身の生き方や視野が大きく広がることであり、また他者の気持ちを推し量ることができるようになること、自分だけの世界ではなく、回りの世界に大きく眼が開くことでもあります。皆さんは総学や総探の中でSDGSの学びを深めています。その学びの根底に「感受性」や「意味を知ること」が必要だと思うのです。
(文責 宗教科)