2021年11月

我 以外は
皆 我師なり

吉川英治氏の言葉

  今月のことばは、吉川英治氏が著書『宮本武蔵』の中で、主人公の宮本武蔵に言わせた台詞です。また、これと似た言葉として、経営の神様と呼ばれている松下幸之助氏は「学ぶ心さえあれば、万物はすべてこれ我師である」と言われています。また、吉川英治氏の『新書太閤記』には、「秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。」ともしるされています。関白となった秀吉は、あまり関わりがない人からも、自分より勝る何事かを見いだしてそれを真摯に学んで自分のものとしてきたから、大成できたのでしょう。

  本願寺第八代門主である蓮如上人は「ひとつのことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり。」と述べられています。これは「信心をいただいた上は、おなじみ教えを聴聞しても、いつも目新しく初めて耳にするかのように思うべきである。人はとかく目新しいことを聞きたいと思うのであるが、同じみ教えを何度聞いても、いつも目新しく初めて耳にするかのように受け取らなければならない」という意味のお言葉です。

蓮如上人は、仏様のみ教えの同じ話であっても、常に初めて聞かせていただいたごとく謙虚に耳を傾けて聞くことが大切であると述べられています。謙虚に耳を傾けるということは、常に何事からも学ぶという姿勢から生まれる心構えであり、そのような心持ちで周りに接していくと今まで気づかなかったことに気づかされたり、思わぬ発見をしたりすることもあります。例えば、以前読んだ本を読み返してみて、前とは違った感じ方ができたり、それまでは何気に読んでいた言葉に新しい発見をしたりということもあります。そして、何事にも謙虚に学ぶ中に心の寛容さや豊かさが育まれ、その意味を「自分以外はすべて私の師匠である」と語られ、多くの先人方がその姿勢を大切にされてこられたのではないでしょうか。

蓮如上人の言葉は、浄土真宗のみ教えを聴聞する姿勢についての言葉でありますが、私たちも日常にある様々なご縁のひとつひとつを学びの師と受け止め、周りにある様々なことに常にアンテナを広げ、そこから謙虚に学ぶということが大切です。そして、その学び方を通して自分の物差しだけでものを考えることなく、広い視野を持った様々なことを受け入れることができる寛容な心が育まれてくるのではないでしょうか。改めて、今月のことばの意味を考え、先人の教えに学んでいきましょう。

(文責:宗教科)