2021年4月

怖いのは
自分を省みるこころを
失うこと

西本願寺 第二十四代
門主 大谷光真

     新入生のみなさん、入学おめでとうございます。また、在校生のみなさんも新年度を迎えるにあたって新たなクラスでの出遇いを大切にして、頑張っていきましょう。

    私たちは、ひとつの“ことば”の出遇いによって勇気づけられたり励まされたりしながら、人間関係を築き成長していきます。そして、生きていく中では、楽しく幸せなことだけではなく、苦しくて悲しい事にもたくさん出遇っていかなければなりません。“今月のことば”は、様々な方の言葉を通して皆さんひとりひとりのこころの支えとなってくれることを願ってはじめたもので、正門や紫苑館前、裏門の掲示板に掲示されています。

     さて、4月のことばは、京都にある浄土真宗本願寺派西本願寺第二十四代大谷光真門主のことばです。“自分を省みるこころ”とは、自分自身の心を振り返る眼をもつということです。心を観る眼をもつということは、自分の心を映し出す“鏡”が必要であるということです。

    よく“仏教の教え”は、“鏡”を見るようなものであると言われます。私たちの眼は直接には自分の姿を見ることはできませんが、“鏡”を通してはじめて自分の姿を見ることが出来ます。皆さんも一日に一回は“鏡”を見ると思いますが、私たちが“鏡”を見るというとき“鏡”に映る自分をみて、自分の容姿を確認し、また“鏡”に映る姿にはじめて知らされる自分の姿もあるでしょう。このように、“鏡”が自分の眼では直接見えない自分の姿を映し出してくれるように、自分の心を映し出してくれる“鏡”となるもが“仏教の教え”であると言われます。

    仏教を開かれたお釈迦様は、今から約2500年前にインドで誕生されました。その時、お釈迦様は、 “天上天下唯我独尊”(天の上にも、天の下にも我れ独り尊し)と叫ばれたといわれています。その意味は、“私”という独りの“いのち”は、この世のすべてのものの様々な縁によって関わり合い、支えあって生かされて生きている尊い存在であるということです。しかし、誰一人として独りで生きている人はいないにも関わらず、ともすると、自分ひとりで生きていると考えたり、自分に都合のいい考え方にばかり流されて、周りのことを考えない生き方をしたりします。さらに、私たちは人間中心の考えで地球環境を省みることなく破壊してしまっている事実もあります。

    今月のことばの“自分を省みるこころを失う”とは、まさにそのような自分中心のものの見方をして、自分を映す“鏡”を失った生き方に警鐘を鳴らされたものといえるでしょう。新年度を迎えるにあたって、改めて聖典にある校訓の“自律”の解説を読み返し、自分の心を省みる“鏡”をもつことの大切さを確認してみましょう。

(文責 宗教科)