わたしの肉体をみるものが わたしをみるのではなく、 わたしの教えを知るものこそ わたしを見る。
ー釈尊最後の説法ー
2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた日です。「涅槃」とは、インドの言葉で「ニルヴァーナ」(nirvāṇa)といい、煩いや悩みの火が吹き消された「安らかさ」「静けさ」と訳され、さとりの境地を表した言葉です。また、生命の火が吹き消されたということで、人生の終わりを意味するようになりました。中国では、「ニルヴァーナ」の音を写して「涅槃」と訳され、「安らかさ」「静けさ」という意味から「寂滅」などとも訳されました。
今月の言葉は、お釈迦様がその涅槃に入られる前に、弟子たちに遺されたことばの1つです。
お釈迦様は35歳で悟りを開かれてから、45年間、中インドを中心として伝道生活を送られました。そして、80歳になられたころ、自分のいのちの終わりが近いことを知られ、当時最大の国であったマガダ国の首都・ラージャガハ(現:ラージギル)を出られて、北へ北へと歩まれました。そして、クシナガラというところに着かれた時、「わたしはもう疲れ果てた。ここで横になりたい。」とおっしゃって、沙羅の樹のあいだに最後の床を用意させ、頭を北に、顔を西に向けて、右脇を下にして(頭北面西右脇)、足の上に足を重ね、静かに横たわられました。そのとき、沙羅の樹は白い花が満開になり、花びらをお釈迦様の上に降らせたといいます。お釈迦様は、いのちが終わる間近まで問い訪ねてくる人々に教えを説かれ、いよいよいのち終わる時、集まった弟子たちに向けて、
「さあ、ともに道をもとめてきた弟子たちよ。あなた方に告げよう。すべてのものは移ろいゆくものである。怠ることなく歩みつづけなさい。」
と告げられた後、深い禅定をへて、涅槃へと入られました。
今月のことばは、お釈迦様が亡くなり、いなくなってしまうことを嘆き悲しんでいる弟子たちに向けて、述べられたことばです。また“仏の本質は肉体ではない。さとりである”と述べられます。お釈迦様は、集まった弟子たちに自分の最後にあたって特別なことをおっしゃったわけではありません。この世の中は縁によって成り立っていて、すべては移ろいゆくものであることを説かれました。この事実を「諸行無常」といいます。私たちはこの事実に闇(くら)いために、若くあり続けること、健康であり続けることに価値があり、今の時が変わらずにずっと続いていくことを願って、老いること、病気になることや、死ということをむやみに恐れてしまいます。変わらないようにみえても、私たちは様々な人との出遇いや日々の学びを通して成長していきます。お釈迦様は私たちに無常であるからこそ、一瞬一瞬を大切にして怠ることなく努力することをお示しくださっています。
改めて、お釈迦様のことばに耳を傾けて、日頃の自分の生き方を振り返ってみましょう。
(文責:宗教科)