「今日は何もしなかった」 とんでもない言いぐさだ。
あなたは生きてきたではないか。
モンテーニュ(宮下志朗訳)
これは16世紀、フランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュが『エセ―(随想録)』という随筆の中に残したことばです。彼はその後に「それこそ、君たちの仕事の根本であるだけではなく、その最も輝かしいものではないか。」と続けています。
16世紀のフランスはペストの流行もおさまらず、カトリックとプロテスタントが休戦を挟み40年にわたり戦った内戦(ユグノー戦争)があり、社会が不安定な状況でした。
裕福な家庭に育ったモンテーニュは、フランスの法官になり王族とのつきあいもあり、フランス宗教戦争時には穏健派としてローマ・カトリックとプロテスタントの融和に努めました。しかし、私生活では6人の子供のうち成人したのはひとりだけでした。前述の『エセー』はそんな彼が生涯にわたって加筆・訂正され続けたものとされています。
みなさんは”いのち”について“いただいたいのち”といういい方を耳にすることはないでしょうか。生物は食べなければ生きていけません。生物は食べる・食べられるの関係でつながっていてこれを食物連鎖といいます。これは生き物の摂理としてどうすることもできません。
それだけではありません、人間は生きていくためにたくさんの助けが必要です。そして、そのご縁によって生かされていて、そんな毎日を生き続けているのが私たちのいのちのありようです。
その中で、「何か成果を残さなければならない」「限られた中学生活や高校生活を、有意義に過ごさなければならない(大人ならば限られた人生を有意義に~となるのでしょうか)」みたいな言葉が頭の中を駆け巡ってしまうことがありませんか。そして何かすることが生きる意味だと思いこみ、何も成果を出していない自分に焦る。しかし、なんだかやる気が出ない。
そんなときにこのことばを思い出してみてはどうでしょう。
そして、ただただこの日を生かされて生きている“いのち”のありがたさということもあるのではないでしょうか。
(文責 宗教科)