自分に光を燈(とも)せ。
そしてその光を自分の拠りどころとせよ。
中学1年生、高校1年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
言うまでもなく「ことば」は人間にとって一番身近なコミュニケーションの手段です。ことばによって励まされたり、勇気づけられたり、あるいは傷つけられたりもします。「今月のことば」は皆さんが日々の生活を送る中で、心の支えとなってもらえればとの願いから作成されているものです。
さて、仏教の開祖お釈迦様(釈尊)は、涅槃(ねはん)に入られる前の最後の説法で、自燈明・法燈明(じとうみょう・ほうとうみょう)の教えを次のように説かれました。
「この世で自らを灯明とし、自らを依りどころとして、他人を依りどころとせず、法を灯明とし、法を依りどころとして、他のものを依りどころとせずにあれ。」‥聖典208頁
「自らを灯明とし、依りどころと」するとはどういうことでしょうか。
「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか。自己をよくととのえることによって、得がたき主を得るのである。」‥聖典192頁
とあるように、自分は自分で、他人とは違います。それは理解できますが、では「自己をよくととのえる」とはどうすることなのでしょうか。それは、教師であるとか、筑紫女学園の生徒であるとか、父親とか部活が○○部とかの肩書きや所属など、付随したものを除いた「人間」の私を磨いていくということです。「自分の内側」を見てみると様々な「煩悩」がうずまいていることに気付きます。そこに仏教のみ教えという「ものさし」が必要になるのです。それが「法を依りどころと」するということです。そして、み教えによって知らされる自分のありのまま姿をみつめ、自分らしく精一杯輝いた生き方ができるとよいと思います。
また、『仏説阿弥陀経』の中に、浄土に咲く蓮の花について
「青色青光 黄色黄光 赤色赤青光 白色白光 微妙香潔」‥聖典73頁
と説いてあります。それぞれの花がそれぞれの花の色をそのまま輝かせているように、私たちも一人ひとりがそれぞれ固有の色(個性)を持ち、それを輝かせ、お互いの色を認め合いながら生きていくことが大切です。新しいクラスもそのように自分の色を大切にしながら皆でつくっていきましょう。
(文責 宗教科)