2023年10月

悪性さらにやめがたし         こころは蛇蠍のごとくなり      (親鸞聖人のご和讃より)

 今月のことばは、浄土真宗の開祖親鸞聖人(1173-1263)が晩年におつくりになったご和讃の一節です。親鸞聖人は、念仏のみ教えに出遇うことによって苦しみの多い激動の時代を力強く生き抜いて行かれました。本来この和讃は、

悪性さらにやめがたし    こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり

  (しゅ)(ぜん)雑毒(ぞうどく)なるゆゑに    虚仮(こけ)の行とぞなづけたる

です。

 この和讃の意味は、「私たちの悪い本性はなかなか変わらないものであり、それはあたかも蛇や(さそり)のようである。だからたとえどんな善い行いをしても、煩悩という毒が混じっているので、いつわりの行いというものである。」というものです。

 私たちは、日々の生活の中で周りの人をあの人はいい人、この人は悪い人と、自分勝手な物差しで人をはかり、安心したり、不安になったりしながら生活をしています。よくよくこのことを考えてみると、自分にとってこの人はこんな人と枠にはめることで自分自身の身を守っているともいえます。そして、もし自分の中でいい人と思っていた人が、その枠から外れ、自分を傷つけることがあれば、その人に対して自分の思いもよらないことを心に抱いてみたり、思わず口に出してその人を傷つけてみたりしてしまうということもあります。親鸞聖人のこの和讃は、念仏のみ教えを鏡として自分自身を徹底的に見つめられるなかに、そのような恐ろしい姿が自身に潜んでいることを見抜ぬいていかれたことばといえるでしょう。

 また仏教(念仏)の教えを鏡として、自己の姿を知らされるということから、わたしの“いのち”について考えてみると、このひとつの“いのち”は計り知れない過去からのつながりの中で縁あって恵まれ、また現在にいたるまで様々な“いのち”に支えられてここに恵まれています。そして、たまたま恵まれた“いのち”であるにも関わらず、私たちはいつの間にかわたしの“いのち”と自分の所有物のごとく考えています。しかし、先日ある講演で、科学的にヒトの身体を細胞と遺伝子レベルで分析すると、細胞は37兆個、共生微生物は330兆個(腸内細菌100兆個、全体の1.5㎏)、さらに遺伝子数で考えるとヒト遺伝子2万1千個、共生微生物は440万個、なんと細胞は全体の10%、遺伝子は全体の0.5%としかないと聞かせていただきました。もはや、わたしの“いのち”といえるのかと教えていただきました。

 お釈迦様は、わたしの“いのち”も含めてこの世界はすべて因縁によって起こっていると説かれました。そしてその中で、すべてのものは移り変わり(諸行無常)、すべてのものは主体(私)はなく、関係性のみが存在する(諸法無我)とおっしゃいました。

 本来の“いのち”の有り様は、お釈迦様が説かれたように、様々な縁によって恵まれた関係性の中でしかないものであります。しかし、いつの間にか私たちは自分というものを主張し、自己中心的な生き方にとらわれて生きています。その人間の根深い欲望をもってしか生きられない姿を深く見つめて生きられた親鸞聖人のことばは、私たち自身も常に自分の心を思い返していくことばとしてわが身に受け止め歩んでいきたいものです。

文責:宗教科