耳が痛いことを 言われたときに
腹を立ててるか 感謝しているか
爽やかな風薫る時節となりました。写真のように、四季の中でも一番、木々の緑が鮮やかに輝いく季節です。
今月のことばは、自分とって「耳が痛いこと」つまり、自分が間違ったことや、至らなかったところを、他者から言われたり、指摘されたりしたときに、あなたは「腹を立てるのか」「感謝するのか」どっちですか?と問うていることばです。
私事ですが、小学校を卒業するときに大好きな校長先生が、卒業生一人ひとりに色紙を書いて渡してくれました。私がいただいた色紙には「忠 言 逆 耳」と書いてありました。この言葉の意味は、「人からの忠告は、私の耳に逆らう(聞きたくない)が、その言葉を大切にせよ」ということです。そして裏には校長先生が、わざわざ言葉の解説を書いてくださっていました。
「人から忠告を受けるのは 自分にとって腹が立つかも知れないけれど それを素直に受け止めることが大切だよ」
小学校6年生の私は、自分に自信があって「俺が間違っているはずはない」とうぬぼれていたのかも知れません。それを校長先生は見抜かれていたのでしょう。この言葉は私の大きな財産として、50年近く経った今でもこころに残っています。
皆さんも保護者の方や先生方から「耳が痛いことを言われる」ことがあると思います。考えてみれば、相手が「腹が立つ」かもしれないと思いながらも忠告してくれる人は、ありがたい人ではないでしょうか。そのことによって関係が壊れるかも知れないのにわざわざ諭(さと)してくれているわけです。また、本当のことを言われたときにこそ、すごく「腹が立ち」、反論できません。間違った指摘であれば受け流すこともできます。もちろん、理不尽(りふじん)ないわれなき誹謗(ひぼう)や中傷(ちゅうしょう)であれば抗議するべきですが、私のためを思って、本当のことを指摘されたときに「ありがとう」と受け止めることができれば、言ってくれた相手も、「言って良かった。わかってくれたのだ」と思うことでしょう。
仏教では「私が正しい、絶対に間違っていない」「それに比べてあいつは」と思い上がることを「慢(まん)」といって、戒めとして教えてくれています。また、わたしたちを悩ます原因である煩悩の中で、最も大きいものを「三毒の煩悩」といいますが、その2つ目には「瞋恚(しんに)」とあります。「好ましくないものに対する反感や嫌悪で、怒りのこころ」です。わたしのこころを静かに見つめるとき、確かにどちらもあることに気がつきます。ですから、そのような気持ちが起こったときに、「ああ、いけない。もう少し謙虚に、素直に物事を受け取ろう」と考えることができれば良いと思います。
皆さんには、毎週行われる講堂礼拝や感謝日の時間があります。その時間を大切にして、自分のこころを静かに見つめ、振り返ってほしいと思います。
(文責 宗教科)