あやまちは 人間をきめない あやまちのあとが 人間をきめる
東井義雄
10月になり、連日の猛暑日から一転、一気に秋の訪れを感じるようになりました。秋は、「・・の秋」とよく言われるように過ごしやすくなったこの季節を表現することばがたくさんあります。秋の訪れを感じるこの時期、自分なりの過ごし方を考えてみましょう。
さて、今月のことばは、浄土真宗の僧侶であり「いのちの教育」の探求に尽くされた教育者の東井義雄(1912-1991)先生のことばです。東井先生は、小学校教師として奉職され、戦後の日本の教育にも大きく影響を与えられた人です。今月のこのことばには続きがあります。
「あやまちは 人間をきめない あやまちのあとが 人間をきめる
あやまちは 誰でもする つよい人も 弱い人も えらい人も おろかな人も
あやまちの重さを 自分の肩に背負うか あやまちからのがれて 次のあやまちをおかすか
あやまちは 人生をきめない あやまちのあとが 人生をきめる」
(『東井義雄詩集』)
私たちは、生きていく中で誰であっても“あやまち”や“失敗”を必ずしてしまいます。やってはならないことをやってしまったり、何かに挫折したり、友だちに思いがけず傷つけることばを言って取り返しがつかなくなったり、後悔することもあります。「あやまちを繰り返す」ということばもありますが、なぜ人は“あやまち”を繰り返すのかを考えてみると、自分自身が見えず、自己中心的で、自分さえ良ければいいと思う気持ちがあるからではないでしょうか。また私たちの心は、どうしても“失敗”をしたくないという思いがはたらき、新しいことへ挑戦することをためらってさけてしまうこともあります。しかし、東井先生のことばにもあるように、大切なことは“あやまち”や“失敗”そのものが悪いのではなく、その“あやまち”や“失敗”を経験して、そのことを振り返るかどうか、そしてまた次にどのように活かしていくかが大切であるということです。自分の過去の“あやまち”や“失敗”を学びとして、もし相手に悪いことをしたと思い振り返ることができたら、その心が相手への思いやりへと変わり、何かに“失敗”してしまった時、なぜ“失敗”をしたのかを考えることができたら、成長につながります。私たちは“あやまち”や“失敗”をした時、そのこと自体でダメだと決めつけてしまいがちです。しかし、そうではなく、“あやまち”や“失敗”したことを振り返ることで、何を大切にして生きていけばいいのかを学び、生きる力となっていくのです。つまり、自分が出遇ったその逆境をしっかりと受け止め、次の自分の生きる力へと変えていけるかどうかが大切なことです。
「失敗とは、成功する前にやめることである」ということばを聞いたことがあります。後期が始まり、過ごしやすくなったこの季節に、勇気をもって自分で挑戦するものをみつけてみてはどうでしょうか。もちろんうまくいくことが一番いいことですが、たとえ何かに“失敗”をしてしまったとしても、それを糧として生きていくことが本当に大切なことであると、今月のことばは教えてくれています。
(文責:宗教科)