いくせんの 距離を渡る渡り鳥 国境線は みえたでしょうか
菊さん即興のうた
生徒のみなさんは、正月や新年に何か特別な意味を感じたりしますか?
「Happy New Year」、「あけましておめでとうございます」、「謹賀新年」、「賀正」、「頌春」……。年が明けると様々な祝いの言葉や文字が氾濫し、なんとなく当たり前のように消費されています。
そもそも、めでたい年/めでたくない年って、何が基準なのでしょうか。いい年/悪い年、いい日/悪い日、いい天気/悪い天気、いい人/悪い人……。よくよく考えてみると、ぜんぶ自分中心で、自分の都合ではないでしょうか。こんなことを言うと、「新年早々めんどくさいなぁ」って思われてしまうかもしれませんが……。
愚禿親鸞曰く、
「良時」や「吉日」にとらわれて、「天の神」や「地の神」を自分の都合であがめながら、「占い」や「お祓い」に人生を左右されるなんて、悲しくありませんか―(意訳)。
原文:かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祗をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす
ともあれ、「おめでたい」「おめでたい」と、ただ祝うだけが正月ではありません。鏡餅、しめ飾り、初詣、おみくじ、福袋……たいてい、「日本の伝統」とされるものは、「創られた伝統」(エリック・ボブズボウム)です。生活スタイルも価値観も多様な時代。世の中には、年末年始をつらいと感じる人もいることに思いを致してみたい。当たり前とされる光景でも、人によっては悲しみや苦しみになることもある。年末年始の華やかな雰囲気に圧力を感じたり、違和感を覚えたりする人もいます。
自分の価値基準を、他者との関係性で捉えなおしてみたとき、違った世界が拡がっていくかもしれません。
さて、今月のことばは、正月にも、巳年にも、全く関係のない、菊さんのうたです。ウクライナでの戦争が長引くなか、菊さんは渡り鳥に仮託して、上記のうたを夜回りに参加した小学生を前に即興で披露してくれました。鼻歌のごとくそらんじたそのうたに、小学生たちは、「国境線って何?」、「見えるわけないよね」などと無邪気に笑いあっていました。
強大な武力を前に、うたは無力かもしれません。しかし、菊さんと小学生の関係性に、尊厳を感じました。
生徒のみなさんは、このうたをどう受けとめますか。もちろん、唯一の「正しい」受けとめ方なんてありません。私は、「みえたでしょうか」の結句に、菊さんの思いが凝縮されていると感じました。また、仏教用語や儀礼をただ単にありがたく謳歌するよりも、素朴な日常の営みにこそ、普遍性(超越性)があるとも感じました。私も菊さんの問いに、しっかり向き合いたいなと思います。
(文責:宗教科)