2025年9月

きっと僕たちは・・・・その人たちに  支えられているんじゃないだろうか   辻村深月『ツナグ』

 夏休みが終わりましたが、みなさんお盆休みはどのように過ごしましたか。旅行に行ったり、家族で集まってお盆を過ごされたりした人もいるのではないでしょうか。

さて、今月は映画『ツナグ』のことばを紹介します。

この作品は「生」と「死」がテーマとなっており、亡き方との出会いを通してその人の願いに気づかされていくお話です。その中で主演の松坂桃李さんのセリフに以下のようなものがあります。

  『人間は、みんないつか死んでいく。

  死んでいった人たちは、一体どこに行くんだろう。

  僕たちの目には見えない、どこか違う世界に行くんだろうか。

  僕たちの世界では、何かをする時、

  目には見えない誰かに見られていると感じて、行動を決めることがある。

  時には、あの人ならどうしただろうと、彼から叱られることさえ望みながら日々を続ける。

  きっと僕たちは・・・その人たちに支えられて、生かされているんじゃないだろうか』

私たちは願いの中に生きているけれど、その願いに気づかないまま日々を過ごしています。

 浄土真宗のお盆とは、先立って往かれた方のいのちをご縁として「その願いの中に生かされ続ける尊き私のいのち」と受け止めていく大切な行事です。

『日本一短い母への手紙』という本の中に、亡き母に対する息子の手紙が載ってます。

「母さんの日記、見つけました。毎日のように出てくる私の名前、ごめんなさい。」

母を亡くして、母の手紙を見た。毎日のように私の名前が出てくる。母の人生は、ただ子供である私の為に生きた人生だった。その母の親心も知らず、母に苦労ばかりをかけてきた我が身を、「ごめんなさい」とわびずにはいれなかった。この手紙を書いた男性は、母を亡くして、願いの中に生きていることを知らされたのです。これはこの方に限ったことではありません。みなさん一人ひとりにも様々な願いがかけられている、尊き私のいのちなのです。願いの中に生きるとは、共に歩んでくれる方がいるということです。その一人が仏様であり、辛い時も悲しい時も嬉しい時も私たちは一人ではありません。

お盆も過ぎましたが、いま一度私にかけられている願いについて考えてみてはいかがでしょうか。

(文責:宗教科)