2025年12月

耳は だまって 聞いている         自分のウソを 聞いている                     

 


 今年も残すところあと1か月となりました。大晦日にお寺で行われる除夜会では、除夜の鐘が108回鳴らされます。鐘を鳴らすのは、今年1年の「煩悩(ぼんのう)」を打ち払うという意味があって、1年の煩悩の数を108としているから、その数を鳴らすこととなっています。1年の煩悩の数が108というのは、多いか少ないかは個々人の受け取り方によるのでしょうが、自分を振り返ることができる人ほど多いのではと思います。

煩悩とは、私を苦しめ、悩ませているもののことで、一番は、何でも手に入れたいと思う「貪欲(とんよく)」、二番は、それがかなえられない時にいら立ち、怒る「瞋恚(しんに)」、三番は、本当のことが理解できない「愚痴(ぐち)」です。これら3つを「三毒の煩悩」といいます。

 さて、今月のことばは、「うそ」についてです。うそをつくことは人間だれしもあると思いますが、これも煩悩のなせる業かも知れません。しかし、聖句にもあるように、自分がついたうそは、自分の耳がしっかりと聞いているし、うそをつくたびに「こころ」が痛むのではないでしょうか。いや、まだこころが痛むのは良い方で、うそをつきなれてしまって、平気になってしまうと恐ろしいと思います。また、うそは一度ついてしまうと、重ねてつかないといけないことになることもあります。ピノキオのように。

 だから私たちには、自分を振り返る時間や場所がいると思うのです。聖句の「耳」を「仏(のはたらき)」に変えてみてください。毎週朝の講堂礼拝や、月に一度、感謝日の式典が行われている意義はそこにもあるのです。講堂で、お話を聞いて、自分の在りようを振り返り、反省したり、こころ新たにしたりすることは大切です。

 現代社会の課題を見てみると、自己中心的な考えからくる殺人・詐欺・窃盗・いじめなどの事件が後を絶ちません。そして戦争や紛争も世界各地であっています。仏教という教えは、仏に何かをお願いする宗教ではなく、教えに照らして、そのような自己中心性を見つめ、自分の生き方の指針(方向性)を得る宗教です。「自分を振り返る時間や場所」が取れない、取ろうとしないことは非常に残念なことと思います。

 筑紫女学園にはその時間があります。皆さんは自分の生き方を考える時間を大切にしてください。

 年の瀬にあたって、今年一年を振り返り、新たな年を迎えましょう。

                                     合 掌
                                                 

 (文責 宗教科)