2021年9月

優しさは、
痛みを想像する完成だ。
その感性は、
磨き続けなければ
輝きを失っていく。

    今年の夏は、全国的に新型コロナウイルス感染症の再拡大に伴い緊急事態宣言が出される地域もあり、その中で東京オリンピック・パラリンピックが開催されています。また、7月には熱海での土砂災害、お盆をはさみ九州・中国地方を中心に今までに経験したことのないような大雨に伴う災害が各地で起こり、多くの被害をもたらしました。災害によって亡くなられた方、被災された皆様に心からお見舞い申しあげます。

   今月のことばは、安井春子さんという方のことばです。安井さんは、1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災の被災者で、震災で家や財産など多くのものを失われた一方で、ボランティアの方などからたくさんの優しさと思いやりをいただいたと述べられています。そして、その思いの中で「優しさは、痛みを想像する感性」という言葉がでてきたそうです。

   “優しさ”ということを考えてみると、“優しさ”とは、人の気持ちがわかることや相手の立場にたって考えられることであり、相手のことを考えているからこそ心配して厳しいことをいうという“優しさ”もあります。しかし、もしその“優しさ”が「相手を思ってしてあげたのに何もしてくれない」とか、「そんなことならしなければ良かった」などと、自分が思ったような反応がなければ不機嫌になってしまうということになれば、本来の“優しさ”とは違うものになっていくのではないでしょうか。

   仏教の教えの中にも“優しさ”を意味するような教えがあります。それは、“慈悲”という教えです。“慈”とは、“衆生に楽を与えたい”ということ、“悲”とは、“相手の痛み、苦しみを自分のこととして共感すること”です。そして、親鸞聖人は、阿弥陀仏という仏様は、いつも私の苦しみ悲しみを自分のこととして感じられ、その苦しみ悲しみをかかえたあなたを救いたいと願う心をもち、私たちにはたらきかけられているといただかれました。

    また“慈悲”という言葉は、もともと“慈・悲・喜・捨”という“四無量心”と言われるこの世界における仏教徒がもつべき大切な心として説かれています。人の苦しみ悲しみだけでなく、“喜”(相手の喜びをともに喜ぶ)も含め、他者のことを自分のこととして考えていくことと、そして“捨“という心が示されています。この“捨”という心は、ものごとにとらわれない平静な落ち着いた心と説かれています。つまり、四無量心として説かれる心は、すべてのもの(無量)に本当にしあわせになってほしいと思いやる“優しさ”に、自分本位の分別をつけることのない(捨)心とも言えるでしょう。しかし、私たちがこの四無量心に示されるような心で実践することは難しいことかもしれませんが、少しでも相手の苦しみや悲しみや喜びも含めて、自分のこととして想像して受け止められる心をもちたいものです。

   そして、改めて今月のことばにある“優しさ”を考えてみると、私たちの日常の身近なことから社会的な問題についても関心をもち、いつも自分のこととして想像力をはたらかせるなかで“優しさ”という感性が育まれていくということではないでしょうか。

(文責 宗教科)