卑怯とか言われたって、
絶対に死んじゃ駄目だぞ。
必ず生きて帰ってこい。
死んだら、年とった
おやじやおふくろはどうなる。
植木徹誠(1895~1978)が、戦地に行く若者に語った言葉
「分かっちゃいるけど やめられねぇ。ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ……♪」。平成生まれの生徒のみなさんには、聞きなれない曲(歌詞)かもしれません。これは昭和の大ヒット曲「スーダラ節」(1961年)の一節です。この「スーダラ節」は、昭和のコメディアンで歌手の植木等が歌った曲としても有名です。
さて、今月のことばは、その植木等の父親で、真宗大谷派の僧侶であった植木徹誠が、戦地に行く若者に語った言葉です。日中戦争の頃ですから、いよいよ庶民の生活も戦争一色に向かっていく時期です。また、真宗教団をはじめとした当時の仏教界は、国策としての戦争を積極的に支持していました。こうした時代状況に抗い、反戦を訴えた数少ない仏教者の一人が徹誠です。徹誠は1938年1月に治安維持法違反で逮捕され、4年間投獄されることになります。戦地に向かう若者や残された家族の悲しみに思いを致し、「戦争はダメ」、「死んだらダメ」、「必ず生きて帰ってこい」と愚直に訴えた徹誠が、なぜ弾圧されなければならなかったのか。生徒のみなさんもこうした過去の歴史について、一度真剣に考えてみてください。
ところで、植木等がこんなふざけた歌詞の「スーダラ節」を歌っていいものか悩み、父親に相談したところ、徹誠は次のように語ったといいます。「わかっちゃいるけどやめられない-。これは親鸞の教えに通じる。やってはいけないとわかりつつも、やってしまう……。そうした人間の愚かさや弱さに向き合い、悩みながら生きていったのが親鸞だ。すばらしい歌詞じゃないか」。このように諭され、等は歌うことを決意したといいます。
徹誠自身も過ちや失敗を繰り返し、悩みながら生きた人でした。こうした自分の弱さや愚かさを自覚した人が、戦争や国家権力に力強く立ち向かっていったことを思うと、どこか勇気づけられませんか。
ちなみに水平社運動にも参加した徹誠は、自分の息子に〝平等〟の願いをこめて〝等〟という名前をつけました。ここからも徹誠の〝生き方〟が垣間見れます。
(文責 宗教科)