2023年7月

生きていることは恩をうけること

生きてゆくことは恩をかえすこと

 今月のことばは、2016年83才で亡くなられた永六輔(1933-2016)さんという方が作詞され、中村八大(1931-1992)さんが作曲された「生きているということは」という歌詞を味わったことばです。永六輔さんは、「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」などみんなに愛される沢山の歌を残された昭和を代表する作詞家であり、放送作家です。

「生きているということは」

生きているということは   誰かに借りをつくること  

生きていくということは   その借りを返してゆくこと  

誰かに借りたら誰かに返そう 誰かにそうして貰ったように 

誰かにそうしてあげよう

 私たちは、生きていくうえで“誰にも迷惑をかけないように”ということばを聞くことがあります。しかし、生まれてから今まで生きてきた人生を振り返ってみても、生きていく中で様々ないのちをいただきながら生きている私たちは、迷惑をかけずに生きていくということはできないのではないでしょうか。

 そして、この歌詞にある“借りをつくる”ということについて、借りを作るときには必ずその相手がいるはずですが、ここでは特定の人ではなく“誰かに”となっています。それは、家族や友人など直接的なものだけでなく、目に見えないさまざまな人やものにも借りをつくりながら生きているのが私たちであるということではないでしょうか。そして、その”借り”ということをそのまま“恩”と味わわれたことばが今月のことばです。

 ”恩”は、インドの言葉でカタンニュー(Ⓟkataññu)で、「なされたことを知る者」(知恩)、漢字の“恩”は、原因を心にとどめることとあります。そして恩とは、何がなされ、今の状態の原因は何であるかを心に深く考えることであると述べられます。(『広説仏教語大辞典』中村元)また、仏教用語に“報恩謝徳”という言葉があり、この意味は“いただいた恩に感謝し、報いるようにする”という意味です。“生きていること”がすでに誰かに恩をいただきながら生きていることであるならば、その恩を返すことが大切なことでありますが、その恩を返せる人がいなかったり、すでに亡くなっていたりということもあります。そこで歌詞の“誰かに返そう”ということを自分が出遇う縁ある方へ恩を送り届けると味わうと、その恩を送られた方がまた出遇った誰かに恩を送っていく“恩送り”の世界が広がっていきます。しかし、私たちは自己中心の自分を正当化した価値観にとらわれ、「自分さえよければ、他はどうでもいい」という考えや、「やられたらやり返す」という報復の価値観を正義として掲げてしまうこともあります。仏教の世界では、すべてのものは縁によって支えられ生かされ生きているという縁起の教えに基づきものごとを考えていきます。大切なことは、“生きているということ”が縁によって様々なものに支えられていることを知り、その受けた恩を次の誰かへと恩を送り、これが巡っていく“思いやり”に包まれた世界を願われたのがこの歌詞の心ではないでしょうか。

 そして親鸞聖人は、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳もほねをくだきても謝すべし」と、阿弥陀如来の救いのはたらきを身に受けた恩徳と、さらにそのみ教えを自らへと伝えてくださった多くの先師方への恩徳に対して、全身をもって感謝することばを詠まれました。   改めてわたしたちも普段の生活では忘れがちな“恩”の心を、今月のことばとあわせて、“恩徳讃”を歌わせていただくなかにも思わせていただきたいものです。

(文責 宗教科)