2026年5月

悲しみと痛みを忘れた世界ほど        悲しい世界はない                    

 


 校庭の木々に自然のいのちの息吹を感じる新緑の季節となりました。

 今月は、「花まつり・宗祖降誕会・創立記念式典」があります。“花まつり”は、4月8日のお釈迦様の誕生をお祝いする日、“宗祖降誕会”は、浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173-1263)の誕生(5月21日)をお祝いする日、“創立記念”は、筑紫女学園が1907(明治40)年(5月13日)に筑紫高等女学校として開校されたことを記念する日です。今年で、筑紫女学園は創立119年目を迎えることになりますが、改めて今月の式典を通して学園創設時の願いに耳を傾けてみましょう。

 さて、昨今の世界情勢に目を向けてみると、国同士が自分たちの正義を振りかざして争いを起こし、その影響で多くの尊いいのちが奪われている報道が絶えません。そして、いつの間にか私たち自身もその状況の報道が日常化してしまって、戦争が起こっていることへの問題意識や関心が薄れているように感じてしまいます。そのような私たちに、今月のことばは、一度立ち止まって考えさせるものではないでしょうか。人は痛みや悲しみを知るからこそ、他者の痛みに共感し、そこから本当の優しさや喜びを得ていくものです。本当は、痛みや悲しみのない世界がよいのですが、私たちは普段の生活の中で痛みや悲しみから目を背けたり、あえて見なかったようにしたり、そこに向き合わない生活をしていないでしょうか。一見すると、こういう感情のない世界は平和であるように思いますが、同時に心が震えるような感動や、人と人との結びつきも失われていくのかもしれません。

 以前読んだ本の中で早稲田大学の森岡正博教授は、現代の文明社会を“無痛文明”ということばで表現されました。“無痛文明”とは、私たちの現代社会が「苦痛を避け、快楽と快適さ」を追求した結果、人間が「生きる喜び」や「生きる意味」を失って生きていく社会となることへの警鐘を鳴らす哲学的批評として語られている言葉です。今、世界中で起こっている争いは、その為政者たちによって多くの尊いいのちが奪われている痛みや、争いに巻き込まれて生活が困難となっている人々に目を向けることのない、まさに無痛化された状態となっているように思います。森岡教授は、戦争は現代社会が抱える「痛み」や「深い喜び」を回避しようとする傾向(無痛化)が極限に達した、残酷な現象として分析されています。さらに、私たちは戦争そのものには直接関わっていなくても、社会生活を送るうえで大きな影響を及ぼされているのですが、メディアを通して知る私たち自身も遠くで起きている戦争についての悲惨さや他者の痛みを「自分とは無関係のもの」として感じにくくなってしまうといわれます。

 仏教の最も大切な教えに“智慧”と“慈悲”という教えがあります。“智慧”とは、すべての存在が関係性のなかに成立しているという“あるがままの(すがた)”を悟られた真理で、“慈悲”とは、あらゆるものの痛みや悲しみ、苦しみを自分のこととしてとらえ、その痛みや悲しみ、苦しみを抜こうとするはたらきのことをいいます。この“慈悲”のこころをもつことは難しいことですが、家族から、友人から、そして自分の縁ある身近なところから相手の立場に少しでも寄り添い、共感するこころをもつことができたら、人と人とがつながりあった温かい世界へと展開していくのではないでしょうか。今月のことばが示す世界にならないように、ひとり一人が深く考えて、温もりある世界を創っていきたいものです。

 (文責 宗教科)