いえいえ それは 名のない草の お宿をするよ
「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」。「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」。生徒のみなさんのなかにも、どこかで聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか。この広く知られたフレーズは、童謡詩人として、没後になってから評価された金子みすゞ(本名:金子てる 1903ー1930年)の詩の一節です。特に「みんなちがって、みんないい」は、多様な個性や価値観の尊重といった文脈で、いまなお多くの人たちに愛されているように思います。
多様性それ自体は大切です。しかし一方で、「みんなちがって、みんないい」が、単なる「何でもあり」の極端な相対主義に陥る危険性もあります。「みんなと違わないといけない」と、多様性が逆説的にプレッシャーになることだってあるかもしれません。「みんなちがって、みんないい」は、誰が、どんな立場で言うのかによって、その中身が大きく変質してしまいます。マジョリティーの側や、権力の側が「みんなちがって、みんないい」と言うのであれば、金子みすゞの願いとは、大きくズレてしまいます。
それはさておき、今月のことばは、512編ある金子みすゞの作品のなかから、あまり世に知られていない「土」という詩を紹介したいと思います。童心に帰って、味わってみてください。
こッつん こッつん 打たれる土は よい畠になつて よい麦生むよ。
朝から晩まで 踏まれる土は よい路になつて 車を通すよ。
打たれぬ土は 踏まれぬ土は 要らない土か。
いえいえ それは 名のない草の お宿をするよ。
耕され、踏まれた土は、肥えた畑となって、実り豊かな麦を生んでいく―。
では、耕されなかった、踏まれなかった土は、無用なのでしょうか? 使えない土なのでしょうか? そのように問いかけ、「いえいえ それは 名のない草の お宿をするよ」と柔らかく語りかけます。「名のない草」という表現にもジーンときませんか。小さきものへの深い眼差しが感じ取れます。
では、ここからは、童謡詩・七五調ならぬ、ヒップホップ調でいきましょう🎵
もし、誰かに対して「あいつは使えない」、「あいつは役立たない」と思うようになっていたら、それはかなりの危険信号だ。想像してみな。もし、「使える」「使えない」といったstudent /teacherカーストがあったら。そんな学校で過ごしたいと思えるか。ぜんぜん思えねぇよな。そんな言葉を平気で口にするやつらには、強烈なアンチをかましてやろう。「お前らだっせぇ生き方してんなぁ。一人で生きてるやつなんて、だれ一人いないんだぜっ」。Yo!チェケラッチョ♪
世のなかは理不尽です。弱さを蹂躙するアジテーションが幅を利かせているこの社会では、優しく上品なだけの言葉は、悪用されることだってあります。生徒のみなさんには、その言葉や振る舞いがたとえ未熟であったとしても、おかしいことを〝おかしい〟と、ちゃんと駄々をこねて言える人であってほしいと思います。
p.s.
金子みすゞには、「女の子」という詩もあります。「女らしさ」に対する金子みすゞの違和や葛藤がにじみ出ていて、考えさせられる内容になっています。
(文責 宗教科)