2024年7月

あらゆる角度から観察しなくては、()

正鵠(せいこく)を得ることはむずかしい。

        第29回 卒業生 菊地敏子

「7月7日」と言えば……? おそらく生徒のみなさんの多くは、七夕を想像することでしょう。しかし、今回は別の角度から「7月7日」に向き合ってみましょう。

 そこで、「今月のことば」は、本校出身の菊地敏子さんの作文から引用することにしました。菊池さんは、1937年3月に筑紫高等女学校を卒業しています。菊池さんの作文(言葉)を縁として、「7月7日」に引き付けつけながら、本校の歩みを歴史的に考えてみましょう。

 先ず、当時の時代状況を紐解(ひもと)いておきます。この作文が掲載された『筑紫』第26号は、1937年3月に発行されています。この年の「7月7日」には、北京郊外の盧溝橋付近で日中両国軍の衝突事件が発生します。こうして始まった日中戦争は、泥沼の長期戦となり、総力戦体制が本格化します。総力戦体制とは、軍事だけでなく、政治・経済・文化・科学・教育・宗教などのあらゆる領域で、あらゆるものが(人の命でさえも)戦争遂行のために動員される体制のことをいいます。実はこうした体制を下から支え、いわゆる〝草の根のファシズム〟の役割を担ったのが学校(教師)や寺院(僧侶)でした。本校に即して言えば、創設以来の良妻賢母主義的な教育に加え、国家主義的・軍国主義的な教育を展開していきます。軍隊慰問や戦勝祈願の神社参拝など、戦意高揚の行事を実施し、やがて校訓には「忠君愛国」や「質素勤労」を掲げます。また、校友会誌の『筑紫』には、「婦道」「堅忍持久の精神」「銃後の覚悟」「質実剛健の精神に就いて」などと題した論説を載せ、戦争協力を(あお)りました。

 さて、このように本校でも戦時色が強まり、中国への敵対感情が高まっていた時期に、菊池さんは「日支関係に就て」という題名の作文を書いています。菊池さんは、中国(人)に対する一方的な偏見や敵意に警鐘を鳴らし、日中関係を冷静に見極める必要があると述べています。満州事変以降、険悪になっていった日中関係を憂慮し、日本が中国に対して、「要求すべきでないことを要求し、取るべきでない態度を取ったというような種を蒔いたことはないでしょうか」と、問いかけています。この問いには、日本の軍事行動に対する批判が含まれているように思えます。こうした文脈のなかで紡ぎ出されたのが、冒頭のことばです。

もちろんこの作文にも、時代の制約が認められます。しかし、作文全体を貫いているのは、日中両国の平和を願う真摯な姿勢であり、こうした当時の生徒による等身大の主張にできるだけ内在して、限界性のなかにも現在に引き継ぐべき可能性を掘り起こしていくことが、私は大切だと考えています。

〝歴史的に考える〟とは、過去の歴史を顕彰することでも、断罪することでもありません。と同時に、単に客観的な事実を羅列することでもありません(そもそも無色透明な歴史叙述なんてもんはありえません)。生徒のみなさんには、無色透明な歴史認識という全く不可能な到達点を目指すのではなく、自分自身の価値観や問題意識に色があることを認めたうえで、様々な角度から物事を観察することによって、その誤りや偏りを不断に修正していってほしいと思っています。

 最後に少し。菊池さんは、真宗寺院の出身でもあることを知りました。そこで、その寺院に伺い、菊池さんの孫にあたる方(この方も本校の卒業生です)から話を聞きました。菊池さんは、社会問題に関心が深く、とても教養のある方であったとのことです。また、戦争体験については、あまり多くを語らなかったということでした。 短冊に「世界平和」の願い事を書くこと-。戦争を経験された方々の声にしっかり向き合うこと-。生徒のみなさんは、どのように平和を実践しようと考えますか。

                               (文責 宗教科)